敗者達の一覧に軍人が入る・・・それに関して釈然としない者も多いに違いない。

太祖ラインハルトは軍人として立身出世を遂げついには王朝を簒奪する程にまで力を付けた。

その関係から早い段階から彼に仕えたのは幼馴染で腹心、ジークフリード・キルヒアイス大公を始めとした軍人達が多く前述した『獅子の友(レーヴェン・フロイスト)』も軍人が半数を占め、まさしく太祖ラインハルトの時代は軍人の時代と言っても過言ではなかった。

しかし、太祖ラインハルトが愛したのは優れた軍人であって軍人全てではない。

有能かつ、自分に忠義を尽くしたものを厚遇するのは人事の基本であるのでそれに異議を唱えるつもりはない。

問題は厚遇する軍人とそうでない軍人との差が大き過ぎた事だ。

『俺が奴を冷遇しているとお前は言うが、冷遇とは才能ある者を正当に扱わないと言う事だ。奴は無能だからそれにふさわしい待遇を与えているだけだ。奴を免職しないだけでも奴は俺に感謝されるべきではないか!』

これは彼が伯爵から侯爵に位階を進め帝国の軍権をほぼ手中に収めて間もない頃、ある高級将校の処遇についてジークフリード・キルヒアイスから『あまりにも冷遇が過ぎます』と苦言(と言うにはささやかな)を呈された時にいった返答であるとされている。

太祖ラインハルトはその将校を無能だと断言したが、実際はずば抜けて有能だとはお世辞にも言えなかったが、かといって取り立てて無能である訳でもなく、ごくごく凡庸な一般将校であり、太祖ラインハルトの無能の判定がいかに厳しいものであったのかよくわかる。

その時は自分の意見を押し通したが、ジークフリード・キルヒアイスの死後、思う所があったのか、その将校を実権こそないがそれなりの地位に遇している。

又、太祖ラインハルトの高級副官と言えば、アルツール・フォン・シュトライトが有名であるが、それまでの副官人事は彼を能力的に満足させられなかったのか、次々と更迭されていった事も有名な話であり、当時は、太祖ラインハルトの副官人事は『遠回しな左遷、若しくは退役勧告である』とそんなブラックジョークがまことしやかに囁かれた事もあった。

この事からも判るように、太祖ラインハルトの能力至上主義、若しくは実力至上主義は適性を通り越して過剰とも言えるものであった。

それを象徴するかのように二つの深刻な問題が太祖ラインハルト崩御後、急浮上した。

一つは太祖ラインハルト崩御直前から表面化してきた、元帥、上級大将と、大将以下との間に生じてしまった能力格差と、気の緩みだった。

一例をあげれば新帝国歴三年、宇宙歴八〇一年初頭に発生したイゼルローン協和政府軍と帝国軍との間で勃発した会戦通称『第一一次イゼルローン回廊攻防戦』における大将以下の軍人たちの慢心、驕兵及び豪語がある。

特に有名なのは二つで、一つは当時アウグスト・ザムエル・ワーレン提督司令部に所属していたダミアン・カムフーバー少将(当時)がイゼルローン軍がイゼルローン回廊を抜けて帝国本土側への侵攻の構えを見せた時、

『閣下!イゼルローンの奴らめ焦慮と混迷のあまり自暴自棄になったと見えます。ただちに回廊に侵入し奴らをして帰るべき家をなくしてやりましょう』

以下のような発言をしたとされる。

これに関してはすぐに直属の上司であるワーレン元帥より注意され、本人も自省したのかその後は、大言壮語を口にする事は無く、堅実に着実に任務をこなし功績も打ち立て最終的には大将にまで昇進した。

問題はもう一人、当時の帝国本土側の回廊入り口防衛の任に就いていたローラント・ヴァーゲンザイル大将(当時)だった。

彼がイゼルローン軍の侵攻を知った時、

『イゼルローンの捨て犬どもが遠吠えしているうちに自分を狼だと錯覚して動き始めたぞ。犬を躾けるには鞭が必要だ。二度と自分達の実力を忘れぬよう厳しく躾けてやれ』

そう豪語している。

その発言に触発されたのか、それとも元々だったのかは不明であるがヴァーゲンザイル艦隊には明らかにイゼルローン軍を格下の小物程度にしか見ておらず、其れは自信ではなく慢心の領域に入りつつあったと帝国の公式文書に記載されている。

これで勝利を収めていれば有言実行の士と称賛を受けたであろうが、現実はそうはいかずイゼルローン軍によって敗退を喫した。

その後、ヴァーゲンザイル艦隊は回廊入り口防衛から外され艦隊も解体されその後任には・・・(中略)









この『第一一次イゼルローン回廊攻防戦』後のローラント・ヴァーゲンザイルは苦難の人生を歩んだと言っても良い。

彼が、回廊入り口防衛の任から解かれたのみならず預かっていた艦隊も解体された事は、『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』でも記述されていたが、これに追い打ちをかける様に本人は帝国本土の辺境星域の警備司令官に赴任することになった。

これは明らかな左遷であり、イゼルローン軍に敗退したとはいえいささかならず厳しすぎる処遇と思われるがこれは敗戦に関する処罰と言うよりは大将級以下の将兵に蔓延していた慢心、驕兵に対する見せしめの意味合いが強い。

と言うのも『第一一次イゼルローン回廊攻防戦』直前に彼が発した傲慢な発言もそうだが、決定的だったのは同時にイゼルローン回廊に侵入を果たしたワーレン艦隊との行動の差にあった。

ヴァーゲンザイル艦隊はイゼルローン軍との交戦で回廊に引きずり込まれる形で侵入し平行追撃によるイゼルローン要塞主砲『雷神の槌(トール・ハンマー)』封じ込めを画策したのだがそれに失敗、その事に恐れをなしたヴァーゲンザイル艦隊は潰走、さしたる追撃を受ける事無く撤退に成功した。

しかし、その被害を全て背負い込むことになったのはワーレン艦隊だった。

ワーレン艦隊はヴァーゲンザイル艦隊の撤退を支援するべくイゼルローン軍と交戦、要塞に肉薄する一歩手前まで追い込んだのだが、伏兵となっていたメルカッツ分艦隊の奇襲により頓挫、『雷神の槌(トール・ハンマー)』の一撃を受けた後撤退に追い込まれた。

だが、そのメルカッツ分艦隊、ワーレン艦隊からは索敵不可能なポイントに伏せられていたのだが、ヴァーゲンザイル艦隊からは丸見えの状態になっていた。

しかし、ヴァーゲンザイルはその事をワーレン艦隊へ通信する事はおろか伝令すら出されていなかった。

挙句の果てには伏兵の存在を報告されていたにもかかわらず、『こちらはそれどころではない。後の事はワーレン閣下に任せるべきだ』と、逃走に精一杯だった彼はそれを黙殺していた事も判明。

ワーレン艦隊の献身的な援護に比べるとそれは冷淡と言うしかなく、しかもヴァーゲンザイル本人がその情報を握り潰していた事は後世は無論の事、当時においても大きな批判の的となった。

その事は太祖ラインハルトを初めとする軍上層部の怒りを買い、戦後の処遇となったのであった。

しかし、失態を犯したとはいえ、太祖ラインハルトが登用した人物であり、このまま朽ちさせるのも惜しいと感じたのであろう、見せしめではあるが同時に、再起を促す為の処遇でもあったが、それすらも彼は裏切った。

大きすぎる挫折は彼から向上心を奪ってしまったのかその後ヴァーゲンザイルは司令官として可もなく不可もない存在として二度と軍中央に返り咲く事は無かった。

結局、新帝国歴十三年、軍の再編計画の一環である大規模な人員再整理計画のリストに名を連ねられ、半強制的な自主退役にまで追い込まれたのであった。









・・・このようにして潜在的な問題をはらんだ能力格差であるが、其れはもう一つの深刻な問題・・・いや、危機を生み出す土壌にまで発展した。

その問題とは、大将級以下・・・もっと正確に言えば将官級の将兵達が抱いた過剰なまでの武勲に対する執着心だった。

その事を象徴する三名の軍人がいる。

アードリアン・ゾンバルト、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン、そしてアルフレット・グリルパルツァー、彼らはともに武勲による立身出世を果たそうとしたがあまり、その陥穽によって人生を躓かせた者達である。

まずアードリアン・ゾンバルト、彼はもともと平民出身であり、士官学校でも平凡な成績で卒業したのだが、現場主義者であったらしく、前線で次々と武勲を積み上げていき、平民としては破格の速度で昇進を重ね、アスターテ星域会戦では中佐として太祖ラインハルト直轄艦隊の小部隊を、アムリッツァ星域会戦では大佐として、リップシュタット戦役では准将として一〇〇〇隻単位の分艦隊を率いるまでに昇進を重ね、戦役後は、少将に昇進、同時に三〇〇〇隻であるが小艦隊を指揮官にまで昇進した。

当時の上層部も彼を評価しており、『未だ経験不足の一面はあるがそれを補ってゆけば将来軍部を支える人材の一人となる事も夢ではない』とウォルフガング・ミッターマイヤーが評している。

しかし、そこまでが彼の人生の絶頂期だった。

第一次『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦時、ランテマリオ星域会戦が、帝国軍が惑星ウルヴァシーを占拠、そこを恒久的な軍事拠点とするべく、本国より物資が輸送される事になったが、それをフェザーンからウルヴァシーまで護衛する任務を自ら買って出た。

しかし、その結果は失敗。

補給船団は全滅、艦隊も壊滅的な被害を受け、彼自身は戦死こそ免れたが太祖ラインハルトにより責任を問われ自決を命じられた。

この処遇に対しては厳しすぎるとの声はあったのだが、これは彼自身の舌禍によってもたらされたとも言える。

と言うのも彼が護衛任務の任に就いた時、『もし失敗したらこの不肖の生命を閣下に差し出し、もって全軍の綱紀を正す材料として頂きます。どうぞご安心を』と言い放ったと公式記録には残されている。

言ってしまえばゾンバルトは自分の言葉を有言実行させられたと言えるだろう。

だが、これだけが理由ではない。

太祖ラインハルトは彼に護衛任務を任せるにあたり、敵襲への警戒する事、本隊・・・つまり自分達への連絡を密にする事、そして万が一敵と遭遇した場合には直ちに救援を求める事を砕いて言い含めていた。

これらを守り通しての失敗だと言うならばまだ汚名を返上する機会にも恵まれたかもしれない。

しかし、彼はそれにもことごとく背いた。

警戒は疎かに、連絡も不定期となり、救援も求める事も無く、その事に不安を抱いた太祖ラインハルトの命で向かったトゥルナイゼンによって発見されるという惨状だった。

この失策を重く受け止めたのかそれからは後方の護衛に関してはアイゼナッハ艦隊に一任している。

次にイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン。

彼は太祖ラインハルトとは同い年で幼年学校から士官学校に進学したのだが、どのような心境の変化なのか途中退学して、前線に身を投じた。

同年代の貴族からは嘲笑を浴びたのだが、本人は意に介する事無く前線指揮官、作戦参謀として功績を積み重ねてきた。

リップシュタット戦役でもリップシュタット連合軍に参陣する同年代を尻目に太祖ラインハルトの陣営に参加、そこでも武勲を積み重ね、二三歳で中将に昇進した。

もはや彼の未来は栄光に包まれていると誰もが確信を抱いていたが、彼も躓いた。

ヴァーミリオン星域会戦で、彼は太祖ラインハルト直属艦隊を指揮していたが、その時彼が見せた醜態の数々が上層部からの失望を買ってしまったのだった。

まず、序盤戦にて周囲の連携を一切無視して乱入してきたために味方に混乱を作り出し、そこから無用の被害を生み出してしまった。

それは手痛い失策であったのだが、その後の働き如何では挽回できるものであった。

しかし、太祖ラインハルトからの𠮟責に委縮し過ぎたのか、その後は当たり障りのないの対応しか出来なくなり、結局、彼は何一つ功績を遺す事無くヴァーミリオン星域会戦は終結。

彼は大将への昇進は見送られ、前線指揮官から軍務省の閑職に回されそれから五年ほど精彩を欠く存在となった。

そしてアルフレット・グリルパルツァー、彼に関しては私が今さら述べるまでも無い。

それほど彼はローエングラム王朝黎明期において負の輝きを放つ存在となってしまったのだから。

『獅子の友(レーヴェン・フロイスト)』の一人ヘルムート・レンネンカンプの元で経験と武勲を積み重ね、遂には次代の軍部首脳となると誰もが評価していたにもかかわらず、『新領土戦役』で心ならずも反逆者となったオスカー・フォン・ロイエンタールに与しながら彼をも裏切った事により同年代、そして後世においても『唾棄すべき背信者』『恥知らず』の烙印を押され、自決を命じられた。

このように彼らに代表される様にローエングラム王朝黎明期においては前線で武勲を積み重ねる事こそが軍人としての栄達の最短ルートであると大将以下の其れも三十代までの青年将校達は皆錯覚しており、この悪しき土壌の一新には・・・(中略)









アードリアン・ゾンバルト、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン、アルフレット・グリルパルツァー。

この三人の内、二人は太祖ラインハルトの怒りを買い若くしてその命を落としたが、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンのみは天寿を全うしている。

『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』でも述べられたようにトゥルナイゼンは、中将に据え置かれた上に軍務省の閑職に左遷され、その後は歴史のうねりから完全に阻害された存在として生きていようが死んでいようが問題ない所にまで落ちぶれた。

しかし、新帝国歴六年、どれだけ落ちぶれようともそばに寄り添い決して見捨てなかった女性と結婚、其れを皮切りに人が変わったように勤務に精励する。

その結果新帝国歴一一年には閑職から、帝国後方総司令部に栄転、更にそこでも帝国本土の治安維持、本土の航路整備及び開拓に努め、その功績を認められて新帝国歴一六年、大将に昇進と同時に後方副司令官に就任。

そして新帝国歴三十年には後方総司令官に昇格、階級も上級大将の地位を得る。

この報を聞いた帝国宰相ウォルフガング・ミッターマイヤーは感嘆のため息を吐き『もはやかつての追従者ではないな』(注)と漏らしたという

それからも後方総司令官として全銀河系航路整備計画にも積極的に協力していき、『ベルンハルト・カーン、エムンスト・フォン・アイゼナッハ、そしてイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンがいなければ整備計画は頓挫するか、十年単位での遅れが生じただろう』とまで言われるほどの功績を残して新帝国歴四七年惜しまれながら軍を退役、それから一〇年後の新帝国歴五七年に老衰の為この世を去った。

その報を聞いたアレクサンドル・ジークフリード帝は彼の死を惜しみ、生前の功績から彼を、『帝国発展立役者の一人』と称賛、『獅子の泉(ルーヴェン・ブルン)の七元帥』以来となる帝国元帥の称号を与えるまでとなった。

この事から軍では大きな挫折から再起を図り、見事成し遂げた者の事を『トゥルナイゼンの再来』と呼び、挫折した者に対する激励に『トゥルナイゼンの様になれ』との言葉を投げかける様になった。

(注)・・・『追従者』

これは第一次『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦時、特に思案する事も無く太祖ラインハルトの言葉をただ鵜呑みにし、盲信する彼に対して当時の軍上層部が彼に下した評価であるとされている。

実際にそう評価したのはオスカー・フォン・ロイエンタール、パウル・フォン・オーベルシュタインであるがそれに異論を述べるものがいなかったことから総意であったと思われる。









・・・と、このように軍人の天下と呼べるローエングラム王朝黎明期でその流れに乗れず没落していった軍人は多いが、その中で最も不遇を受けた軍人を上げよとの問いに一人の人物が挙がる事が多い。

その名はレオポルド・シューマッハ。

エルネスト・メックリンガーと同い年の彼は士官学校では上位に食い込むほどの成績で卒業、その後は見識、思慮、行動能力、どれをとっても水準以上の才覚をいかんなく発揮。

前線、後方問わず堅実な功績を積み重ね三〇歳で大佐の地位にまで上り詰めるほどの俊英ぶりを見せつけた。

このまま進めば全てが順風満帆であろうと思われた彼の人生であるが、その能力をブラウンシュヴァイク公に買われ、アルフレート・フォン・フレーゲルの補佐役の為に幕僚に加わった事が彼の人生を大きく狂わせる事になった。

門閥貴族の項目でも述べたが典型的な門閥貴族である彼が幕僚の、それも平民階級であるシューマッハの言葉に耳を貸すはずもなく、最初の頃はシューマッハの進言に一顧だにしなかった。

しかし、時間がたつにつれて、彼の扱いにも熟知したのか彼の心理的な優越感を擽り、煽てて自分の意見を自然に受け入れる様に誘導、その甲斐もあってか、フレーゲル艦隊は武勲を積み重ね、ブラウンシュヴァイク私設艦隊の中では主力の立場に収まり、フレーゲル自身もブラウンシュヴァイク公の腹心、随一の勇将の名声まで手に入れるまでになった。

しかし、そんな名声、あるいはメッキはリップシュタット戦役にすべて剥がれ落ちた。

元々、太祖ラインハルトへの恨み憎しみに骨髄まで染まった彼はシューマッハの進言を全て無視、『金髪の孺子』憎しで行動、リップシュタット戦役の趨勢を決定づける命令違反を連発。

遂には降伏か亡命を進言するシューマッハに逆上した挙句射殺しようとして逆に殺された。

その後、シューマッハは自らを助けてくれた部下ともどもフェザーンへと亡命、軍艦を売却した上でその資金を元手に農場経営に乗り出した。

しかし、彼はその才覚を当時のフェザーン自治政府にも目を付けられ、ほぼ脅迫の形でエルウィン・ヨーゼフ二世誘拐事件の実行犯に仕立て上げられ、一時期は銀河帝国正統政府の軍務省に籍を置き、名目上だけだが軍務尚書直轄の直営艦隊提督の座が与えられた。

しかし、彼が艦隊を指揮する機会は一度も与えられる事無く、第一次『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦で正統政府はもろくも崩壊、シューマッハはエルウィン・ヨーゼフ二世誘拐事件を共に実行したアルフレット・フォン・ランズベルクと共に逃亡の日々を送る事になる。

だが、其れも新帝国歴二年から三年にかけて起こった通称『ハイネセンの天罰』(注)に巻き込まれ負傷した時に当局に収監されたのだが、今までの振り回されてきた人生に疲れ切っていたのだろう、抵抗や反抗の素振りも見せず、エルウィン・ヨーゼフ二世の事を筆頭に重要な情報を提供。

ただ、立ち上げたばかりの農場に戻りそこで残りの人生を過ごしたいと述べたと言う。

しかし、そんなささやかな願いすら彼には与えられなかった。

供述された情報の有益性や、現在の彼の精神状況などから問題なしと判断され、太祖ラインハルト崩御とアレクサンドル・ジークフリード帝即位による恩赦で釈放された。

その足で農場に戻ったのだが、農場は解体、彼と行動を共にした部下も四散していた。

その真相は後日判明したが、シューマッハはエルウィン・ヨーゼフ二世誘拐事件に参加する代わりに農場と部下の安全を要求し交渉役であった当時のフェザーン自治政府補佐官ルパート・ケッセルリンクもそれを呑んだ。

それを守るつもりであったかそれとも反故にするつもりだったのか?

それは今となっては永遠の謎であるが、現実としてはその希望は叶えられなかった。

第一次『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦の混乱の最中、ケッセルリンク自身は死亡、有耶無耶の内に条件は闇に葬られてしまった。

それに加えて帝国軍侵攻による混乱によって一時期であるが半ば無政府状態に陥っていた。

ウォルフガング・ミッターマイヤーの迅速かつ違反者は味方であっても容赦ない苛烈さによって鎮静化したが、フェザーン全域には及ぶ事は無く農場がある、郊外には及んでいなかった。

自治政府の庇護も無く、知恵も知識も無い亡命軍人たちなど海千山千のフェザーン商人にとっては赤子の手にひねるよりも容易かったのだろう。

彼らはなけなしの財産全てを奪われ、挙句には莫大な借金を押し付けられて斡旋された職場にて借金を返し続けなければならない過酷な人生を送る事になったのだった。

その後は彼の能力を高く買っていたアルツール・フォン・シュトライトやアントン・フェルマーら旧ブラウンシュヴァイク公配下の人々からの推薦を得て准将として再び帝国軍籍に身を置く事になった。

しかし、この時の彼は明らかに自暴自棄の色が見え隠れしていたらしく二年後、宇宙海賊との戦闘中明らかに無理な特攻作戦に自ら志願してその作戦を成功、宇宙海賊討伐の立役者となるが本人も行方不明となってしまった。

捜索もされたが見つかる事は無く結局、作戦行動中行方不明として戦死扱いとなったのである。

彼の死を惜しむものは現在においても一定数おり、見識、能力、行動力、それをとっても一流の才覚を有し、リップシュタット戦役後、若しくは太祖ラインハルトが早くから彼に目を付けていればローエングラム王朝を支える人材として活躍できたに違いないと、評価する。

しかし、その一方で彼に対して辛口の評価を下す者も少なからず存在する。

『能力は優れていたが、時流を見る目が存在しなかった。リップシュタット戦役後、太祖ラインハルトに降伏すれば、優れた人材を広く求めていた太祖ラインハルトに見いだされ登用された筈であり、そうなればシューマッハの人生は大きく変わっていた。彼自身の視野の狭さが己の人生を大きく躓かせる結果となったのであった』

『レオポルド・シューマッハには時流に逆らう覇気や行動力が不足していた。ただただ流されるだけで己の意思で動いたことは一度も存在しなかった。すくなくともフェザーンからの不当な要求に関してはそれを拒む事も出来た筈だった。オーディンに到着したら太祖ラインハルトの元に飛び込んで陰謀の全てを暴露する事も出来た。だが、彼はどれもしなかった。レオポルド・シューマッハが迎えた結末は不運だとは不幸だとかで断じてない。全てに対して受け身であった彼の自業自得と言う他ない』

このように彼の受動的な性格や、積極的に自分の価値を高める行為をしなかった事が批判を集めている。

だが、身分階級によりがんじがらめの状態であったゴールデンバウム王朝では下手に逆らう事をせず受け身となるのは平民階級が生きる為につけた知恵とも言えるものであり、それを否定する事は出来ない。

ただ一つ言えるのは『レオポルド・シューマッハは無能であった』、そう断言する歴史家は一人とて存在しないことである。









本書では触れられなかったが、この時代において不遇の運命を辿る事になった軍人はもう一人いる。

彼の名は、ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン。

平民階級であるが、四〇代半ばで大佐に昇進しその才覚は確かなものであるが、それよりも物事を正確に判断る眼に優れ、たとえ耳に痛い話であっても時には上官にも実直にあるいは愚直に進言する勇気と胆力を併せ持ち、姿は同世代からは『糾弾者ミュンツァー』の再来だと言われる事もあったが、それゆえに軍上層部、事に門閥貴族出身の上級将校からは忌み嫌われ、辺境を転々とする生活を送っていたが、太祖ラインハルトに見出され、カストロプ動乱平定に編成されたジークフリード・キルヒアイスの艦隊に配属、それ以降はキルヒアイスの元で、士官学校からの親友であるフォルカー・アクセル・フォン・ビューローと共にその才覚をいかんなく発揮し、『キルヒアイス艦隊の二本槍』とまで評された。

キルヒアイス急逝後はオスカー・フォン・ロイエンタールの配下に転属、参謀長として『卿が俺の補佐役となって以来、無用の事を聞かされた覚えはない』と言わしめるほどの信頼を勝ち取り、彼も新たな上官の信頼に応え存分にその力を発揮したが、新帝国歴二年の『新領土戦役』で、彼は再び上官を失った。

それが彼から生きる希望を根こそぎ奪い取ったのか直後に自殺している。

その時彼は親友ビューローに太祖ラインハルトへの痛烈を通り越して激烈な弾劾を言い放っている。

『忠臣名将を相次いで失われさぞご寂寥のことでしょう、と。次はミッターマイヤー元帥の版ですか、と。功に報いるに罰をもってして王朝の繁栄があるとお思いなら、これからもそうしなさい、と』

この一言は現在では『ベルゲングリューンの警句』と呼ばれベルゲングリューン本人も『糾弾者ミュンツァー』に準えて『弾劾者』と呼ばれる様になった。

尚、太祖ラインハルトはその弾劾を聞いても表情一つ変える事は無かったと言うが、聞き終わった後その弾劾を自らへの警告として記録に残すように伝え、ベルゲングリューン本人への咎めは何もなかったとされる。









(注)・・・『ハイネセンの天罰』

宇宙歴八〇〇年、新帝国歴二年二月の自由惑星同盟滅亡から翌年宇宙歴八〇一年、新帝国歴三年六月の『ルビンスキーの火祭り』までのバーラト星系で起こった人災、動乱、暴動などの総称をさす。

僅か一年強の期間でこれほどの厄災に見舞われた事に当時から『これは国父アーレ・ハイネセンの嘆きだ』、『自由惑星同盟を滅ぼされたことに対する国父の怒りだ』『いや、国父は怒っているがそれは民主共和制を再び途絶えさせてしまった我々に対するものだ』みなどと噂されており、その事からこの総称が一般に流布さていった。









ローエングラム王朝黎明期、ことさら第二代アレクサンドル・ジークフリード帝の在任期間を『文官冷遇の時代』、『軍人に国政を委ねた暗愚帝の時代』と揶揄する言葉があるが、これは正確ではない。

確かにこの時代、軍人が内政に介入して国政に関わる重要案件に関わる事が多かった。

それは新帝国歴五十年にアレクサンドル・ジークフリード帝が息子のクリストフ帝に帝位を譲るまで続いたのでアレクサンドル・ジークフリード帝が軍部の暴走を食い止められなかったとみるのは仕方のない面があるかもしれない。

だが、これはアレクサンドル・ジークフリード帝に責任がある訳ではない。

むしろ彼は太祖ラインハルトが残した負の遺産、その清算を自らの責務とみていた節がある。

と言うのも旧帝国歴四八八年、リップシュタット戦役が終結した際、ジークフリード・キルヒアイス暗殺事件を利用して軍部のみならず国政を掌握する事でローエングラム独裁体制の確立を図り時の宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵を排除して彼の一族は一〇歳以下の男児と女性を除きすべて処刑されてしまった。

その苛烈さに震え上がった当時の政府官僚は軒並み太祖ラインハルトに忠誠を誓うか、政治の表舞台から姿を消した。

リヒテンラーデ体制で副宰相を務めたデニス・フォン・ゲルラッハ子爵は地位を返上して謹慎に入り自身と一族の滅亡を回避しようとしたのだが、翌年のエルウィン・ヨーゼフ二世誘拐事件において共犯との疑いを掛けられて逮捕拘禁、その数日後には、獄死している。

これは謀殺の疑いが当時から囁かれていたが未だ真相は闇の中であるが、この二つの事件がローエングラム王朝黎明期に暗い影を落とす事になったのは間違いない。

リヒテンラーデ一族の粛清、ゲルラッハ獄死に関しての抗議なのか、それとも自分も粛清される事に対する恐怖からなのか、この事件に前後する形で高級官僚が更に職を辞する事になり一時期中央政府は危機的な人員不足に陥った。

正確な数は不明であるが最もひどい時で旧帝国歴四八八年と新帝国歴三年と比べて四割近く減少している。

これに関して、パウル・フォン・オーベルシュタイン、ウォルフガング・ミッターマイヤー、アウグスト・ザムエル・ワーレン、そしてナイトハルト・ミュラーと、ローエングラム王朝軍務尚書四代に渡って名補佐役として四人の元帥を支えた軍務省次官アントン・フェルマー大将が晩年回顧録を出版したのだが、そこに気になる一説を記している。

まだ大佐だった時であるのでローエングラム独裁体制が確立されてからであるが、ある時彼の執務室を訪れた時にとある報告書を読んでいたのだが、その時に『いささかやり過ぎたか』と可聴範囲ぎりぎりの小さな呟きを発していたと言う。

気になったフェルマーが報告書の件を問うたのだが、彼はその報告書を足元のシュレッダーで処分した後、冷たい視線で一瞥しただけだという。

話を戻して、そんな事もあり、ローエングラム王朝黎明期・・・殊に太祖ラインハルト崩御後においては文官、武官の垣根なく内政に取り組む事になり、よく言えば一団結した、悪く言えば全てが曖昧な状態でどうにか乗り切る事に成功したのだった。

(『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』第一節ゴールデンバウム王朝編第五章より抜粋)









太祖ラインハルト崩御後、第二代皇帝アレクサンドル・ジークフリード帝が恒常的に軍人を内政を介入させた事は現在でも批判の対象に晒されている。

『ローエングラム王朝が武断的な側面を強く見せる様になってしまったのも太祖ラインハルト及びアレクサンドル・ジークフリード帝の軍人優遇措置が原因である事は言うまでもない。それにより四代皇帝こと暴帝ダミアン帝の暴走と軍人宰相マティアス・アントワーヌの専横(注)の土台を創り上げた事は明白だ』

これは紛れもない事実であるが同時にローエングラム王朝黎明期における致命的と言える文官不足とそれが原因で起こった文官の主導権争いから眼を背けている。

俗に『四派閥抗争』とも呼ばれるこれは旧ゴールデンバウム派、ローエングラム派、旧自由惑星同盟派、そして旧フェザーン派、それぞれの出身官僚達が引き起こした権力闘争だった。

なぜこのような抗争が起こったのか?

それはリヒテンラーデ一族粛清から始まった旧王朝勢力の一掃に遠因がある。

その事が原因で大量の官僚辞職に繋がった事はユリアン・ミンツも述べているが、その解消の為、太祖ラインハルトは積極的に在野の人材を登用。

又、自由惑星同盟滅亡後は帝国に恭順の意思を示した者を取り込み人材不足を補おうとしてきた。

だが、前者はどれだけ優秀な素質を持とうとも経験だけはいかんともしがたく、後者は経験こそ豊富だが、其れは同盟時代のそれであり、帝国のやり方に順応するにはそれ相応の時間が必要としていた。

其れでも内政が滞りなく進んだのは、太祖ラインハルトの存在があったからこそである。

彼の天才的な才覚と勤勉な性格が全宇宙をほぼ統一した大帝国を支えていたと言っても良い。

が、太祖ラインハルトの崩御と共にそんな歪なバランスは一気に崩壊した。

今まで、太祖ラインハルトが一身に背負ってきた政務は内政軍政全てを合わせれば膨大極まりないもので、それを見たカール・ブラッケは『先帝陛下は人間じゃない』と思わずこぼし、国務省書フランツ・フォン・マリーンドルフは『先帝陛下が早世するのも無理はなかった。あれだけの激務を連日こなし親征まで行い、身体がもつ筈が無い。間接的に我々が先帝陛下を死に追いやったのだ』と、そう日記に記している。

当然だが、一人が背負い込むことは不可能であるので軍事面に関しては軍務尚書ウォルフガング・ミッターマイヤーら『獅子の泉(ルーヴェン・ブルン)の七元帥』に全て一任し、内政面はひとまず国務省書フランツ・フォン・マリーンドルフが預かり、適正分野にそれぞれ再配分する事になった。

しかし、ここで先の官僚不足が尾を引き、分配されたにも拘らずその量に各省は連日深夜までの内政処理を余儀なくされた。

その負荷の大きさから体調を崩す者が続出し民生尚書カール・ブラッケ、財政尚書オイゲン・リヒター、内務尚書テオドール・オスマイヤーを始め、ほとんどの尚書が過労で倒れ短くても数日間、長ければ半月入院する騒ぎにまで発展。

それを重く見た摂政ヒルデガルドはかつて辞職し今も在野に下った官僚達を呼び戻すべく、デニス・フォン・ゲルラッハの獄死事件の再調査を実施、それが謀殺である事が判明、実行犯を逮捕すると同時に冤罪に関して遺族に深く謝罪し一時金及び遺族年金を支給する事で和解する事に成功。

また、下野した官僚達を呼び戻すべく下野前よりも厚待遇の条件をちらつかせて復職を要請、旧王朝出身官僚達のローエングラム王朝に対する不信感を払拭するべく行動を開始した。

札束で頬を叩くような方法であるし、誰が首謀者である事は最後まで明らかにされる事も無く、核心部分は闇に包まれてはいるが、ある一定の払しょくには成功したらしく半分に近い数が復職を果たした。

また、遷都直後から太祖ラインハルトはフェザーン人も積極的に登用を行っており、これらが功を奏したのか新帝国歴六年には質量ともに納得できうる文官をそろえる事に成功したのだった。

しかし、それによって緊張の糸が解けたのか官僚達は上記の四派に分裂、各省庁で主導権争いに発展。

国政に影響が出るほどの深刻な対立にまでなってしまった。

結局、表立った対立は新帝国歴七年から二六年にアレクサンドル・ジークフリード帝が親政宣言を発するまで続いた。

しかし、その後も感情的な対立は続き、アレクサンドル・ジークフリード帝は停滞する国政を動かす為、しばしば『獅子の泉(ルーヴェン・ブルン)の七元帥』の武力を背景に強引に国政を動かす事もせざるおえない程だった。

その為の苦肉の策として、七元帥を文官僚として転属もさせており、軍務尚書ウォルフガング・ミッターマイヤーを新帝国歴一三年に国務省書に抜擢、更にアレクサンドル・ジークフリード帝は親政宣言と同時に彼を帝国宰相に任命する事で文武の頂点に立たせたのは有名な話であるが、他にも統帥本部総長エルネスト・メックリンガー元帥を学芸尚書に、憲兵総監ウルリッヒ・ケスラー元帥は内務省と司法省の権限を一部譲渡されて新設された警察庁長官に、後方総司令官エムンスト・フォン・アイゼナッハ元帥は工部省から分離独立した運輸省初代尚書に任命されている。

当時はこの人事は考えうる限り最善の人事であったのだが、これにより軍部の政治介入が常態化した問題を生じさせてしまった事実は否めない。

結局、四派の対立は新帝国歴六八年、病没したアレクサンドル・ジークフリード帝の跡を継いだ第三代クリストフ帝による肥大化した官僚組織の大粛清において終焉を迎え、そこから更に武断の色を濃くしていく事になり第四代の暴政へと・・・

(『時代に翻弄された名著達』・・・『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』編五章から)









(注)・・・『暴帝ダミアン帝の暴走と軍人宰相マティアス・アントワーヌの専横』

ローエングラム王朝史上初の暴君と名高いダミアン・フォン・ローエングラムと彼の腹心にして軍務尚書と帝国宰相を兼任したマティアス・アントワーヌ元帥によって引き起こされた、新帝国歴一〇八年から新帝国歴一一二年までの暗黒時代の事を呼ぶ。

太祖ラインハルトから第三代クリストフ帝まで稀代の名君、国の基盤を整えた良き皇帝、国の膿を一掃した剛腕皇帝と有能な皇帝が三代に渡り続いたローエングラム王朝だが、負の反動がまとめてきたのではないかと思われるほど第四代皇帝として戴冠したダミアンは暴政の限りを尽くした。

質実剛健の象徴であった獅子の泉(ルーヴェン・ブルン)を捨てて財の限りをもって建造された離宮通称『強欲の館』で内政・・・正確には税の取り立てに躍起になりそれを可能とする悪法を次々と皇帝権限で立法、抵抗するローエングラム議会を永久解散させて皇帝の独裁状態を確立させた。

更に腹心であるマティアス・アントワーヌが当時大佐に過ぎなかった為、准将から上級大将の階級をすっ飛ばして実に『獅子の泉(ルーヴェン・ブルン)の七元帥』以来となる現役の軍人に帝国元帥の称号を与えた上で軍務尚書と帝国宰相に任命した。

文武の頂点に君臨したマティアスはダミアンの意を汲んで、憲兵隊、警察庁、内国安全保障局を総動員して『皇帝陛下に逆らう不届き者』を逮捕、拘束最悪は即日処刑と言う暴挙にまで及んだ。

無論だがその中には未だ数少ない皇族も含まれており、彼は実母を含め兄弟のほとんどを皆殺しにした事から一部の歴史学者からは『流血帝二世』とも呼ばれる。

現在判明しているだけでも正式な法令に則り逮捕、拘束されたのは帝国全土で九〇〇〇万、処刑された犠牲者は二〇〇〇万にも及び、更に獄死ないし獄中で変死した数も含めると二五〇〇万以上に上る。

だが、恐ろしい事にこれはあくまでも判明している数であり、皇帝批判を口にした翌日には突然姿を消した人々も多く、それらも暴政の犠牲者となったのであればその数は倍に上るのではないかと現在でも研究が続けられている。

そんな暴君の統治への恐怖が窮鼠の反発に変換されていくのはむしろ必然の事であり、それを先導する者は当然だが現れた。

国内に恐怖の嵐をまき散らしたダミアン帝はその目を唯一帝国領でないバーラト自治区に向ける。

彼は外交ルートを通じて『全ての星系は太祖の名のもとに銀河帝国に従うのが道理である』と無茶苦茶な論理を振りかざして自治権の放棄と帝国への臣従を要求してきた。

それを当然だが拒否された上に、バーラト自治区にダミアンの暴政から命からがら逃げ伸びた彼の弟であり、先帝クリストフ帝の末子ハンツ・ヘルムート・フォン・ローエングラムがいる事が判明するや激高、ハンツ・ヘルムートの引き渡し及び無条件降伏を要求。
受け容れられねば宣戦布告も止む無しと最後通牒を突き付けた。

事ここに至り、もはや戦争は避けられないと判断したバーラト自治区政府は旧自由惑星同盟領の各星系に激を飛ばす形で反ダミアンの軍を蜂起。

それに各星系から義勇軍と言う形で星系警備艦隊や物資などが続々集結、『暴君によって狂わされた帝国を正す』の大義名分と共に帝国に逆宣戦布告を叩きつける。

その旗頭には、ハンツ・ヘルムートが勤め上げ、彼らは帝都フェザーンへと進軍を開始した。

その知らせに激怒したダミアンはすぐにマティアスに『不逞なる反乱軍』の討伐を命じ、マティアス自らが総司令官として討伐軍を率いてバーラト自治区に進軍を始め、ランテマリオ星域にて反乱軍と交戦、完膚なきまでに叩き潰された。

元帥とは名ばかりで元は大佐、しかも彼自身大艦隊どころか分隊指揮すら経験が無かった事も原因だが、何よりもダミアン帝の悪逆非道の数々によって将兵の士気も皇帝に対する忠誠心も最低を通り越して0であり、命令違反は当たり前、開戦前から離脱する艦が続出、反乱軍との交戦前で二割の戦力を失い会戦も半日で終了し、九割が逃亡、降伏、残りの大半は帝都に逃げ帰り、戦闘で破壊された艦はごくわずかだった。

その後、降伏艦や、離脱艦を次々と受け容れて再編成を終えた反乱軍はダミアン帝及びマティアスを捕縛すべくフェザーンに進軍するが、そのフェザーンでは大惨敗の報が帝国側の情報規制を容易く突破してもたらされた事で抑圧されていた怒りが爆発。

全域で暴動が発生、暴徒の勢いにダミアン帝とマティアスはごく僅かな側近を伴って逃走しようとしたが、容易く発見、嬲り殺しにされたという。

その後、無政府状態のフェザーンをいち早く鎮圧したハンツ・ヘルムートはフェザーンの治安を素早く回復させ人心を安定させた後にローエングラム王朝第五代皇帝として戴冠、ローエングラム議会の復活を宣言すると同時にダミアン帝の暴政で傷ついた帝国全域の復興に努め、立て直しに成功、その功績を称えられ崩御後『復興帝』の名を贈られた。

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